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輪違屋糸里を見ました。 [感想]

ちょっと前に放送されていた輪違屋糸里を見ました。
ひなたと新選組として描いている時期もちょうど被るので仕事しながらですがいろいろ興味深く。(原作ハードカバー版が出てすぐ買っているのですが、未読…すみません…)

八木邸の再現ここまでやってるドラマってないんじゃないでしょうか…広さ、間取りそのままですワ。
そもそも芹沢がここまでクローズアップされるドラマもあまりないですが…
(作品によってはいなかったことにされることも…)

自分の解釈とどういう違いがあるのか、というのがやっぱ見ていて面白いス。
史料は想像の余地がいっぱいあって、いろんな解釈ができるので他の新選組ものでどう解釈しているのか見るのが面白いスね。
あと何を再現のキーにしているか、どこを膨らませて創作にするか、とか。

輪違い屋では水戸の扱いが「そーきたか」という。
天狗党の関係もあって、水戸と芹沢らは追うもの追われるものの関係であったのでなるほどなぁ、と。
ひなたでは水戸(上部の人ではなく下の方)は初めから新見と+の形で繋がっている、と見える感じにしてます。(近藤土方達にそう見えるだけで切腹は違う理由かも…←作者なのにそんなんでいいのか)

島原の描写もこれまで見た映像作品の中ではらしくてよかったですね。
着物も髪も「あれ?吉原だ」というのがドラマだと多いので…
キラキラした花櫛(名称不確実)が見たかったなぁ。明治期の島原の太夫の写真を見ると結構あるのですが、幕末はどうなのかしら…

ドラマとかで風俗が吉原になってしまうのは小道具の関係もあるのでしょうけど、吉原に比べて資料少ないのもあるのかなぁ。(太夫の下クラスの資料が特に欲しい…)

協力が得られにくいというのもあると思いますが…
江戸時代と現在では違うし、島原に対する誤解が生まれやすいので難しいですな。
島原は太夫、天神クラスの上級遊女は体ではなく、芸を売っていたのですがやはり誤解されやすいしなぁ。(戦前だと馴染み客とそういうことになることはありですが。)

調べても島原は遊郭としての実態はわかりづらい…
妓楼や茶屋などは残ってないしなぁ。(内装変えて残っているのもあるそうですが…今度ゆっくり回ってみよう)
成立期〜江戸初期や現代のあり方、出入り自由な所などから考えると(金を払って通行手形のようなものをもらうのだったかな)花街として扱うべきでしょうが、過去には公許の遊郭扱いも受けていた訳で…


感想文 [感想]

何か中学生の読書感想文みたいですが…

吉村昭のエッセイ集「わたしの普段着」を読む。
この方は史料をホントに細かい所まで調べて(それこそ書いている出来事の日の現地の天気まで)書く人で(記録小説と呼ばれる)、どう取材をしているのか、どうやって史料を集めているのか気になっていた。

日常のことの他、著作の取材のことも触れていて興味深かった。過去に自分が行った取材のことが、日記を紹介する形で歴史の史料を辿っているような描写になっているのが面白い。

小説家は変人というか大物が多いというのは、いろいろなエピソードを聞いたり読んだりすると感じることだ。
元編集者現作家の半藤一利氏がテレビで語っていた松本清張エピソードとか。最近読んだ「ニッポン偉人寄稿録」(前坂俊之 ぶんか社文庫)も作家のエピソードが多かった。

中に紹介されていた「作家は変人」と言い切る編集者(吉村氏によると「そう言っているこの人こそ変人」)が語る林芙美子の話はすげーなー、と。

林芙美子は締め切り日に間に合ったことがない人で、その時も締め切りを過ぎても書き上がらない。
彼は「今日こそは」と原稿を取りに行ったが、玄関のブザーを押すと逃げられる恐れがあるので庭木戸を抜けて母屋に出る。すると家事手伝いの女性がいたので彼女に林氏のことを聞くと涙ぐみながら「先生はお亡くなりになりました」と言う。
「だまされるものか」と奥の部屋に行くと林氏は布団の中に身を横たえていて白い布が顔にかけられていた。
声をかけて布を取ると……


本当に亡くなっていたそうな。

急死だったそうだが、このエピソードから日頃の攻防が想像できて不謹慎であるが面白い。

漫画描きもそういう所は同じで、編集さんと書き手の間には水面下の駆け引きがあったり。
吉村氏は「小心者」だから締め切りを破ったことがないそうだが……
(上記編集との原稿依頼でのやり取り読むと吉村氏も変だと思います。)

私も小心者…だが締め切り考えるとあまり優秀とは言えず。

小心のため早めに正直に申告して追いつめられることがないようにしたり。
引っ張って引っ張って逃げる作家さんの話をチラホラ聞いたりするけれども、私がその立場になった場合絶対壊れる…

漫画家も変人と言われる人多いが(大御所の人は伝説がいろいろありますね)、私は取り立てて変わったとこはない……と自分では思ってますがどうでしょう。(不義理が多い、デリケートに見えて自分本位で不遜とかはある…)

この本を読んでいて勇気づけられたのは、この人の執筆の仕方だ。
もちろん吉村氏の取材力やフットワークにはどんなことやっても届かないのだが、私もスタイルは近い。
私はフィクションが主で吉村氏と書き方は全く違うが。

筆を進めて調べなければいけないとこができるとその地に赴いて調べる。中の描写の「砕氷船に似て、一つ一つ氷塊に似た史実に行手をさえぎられる度に、それを砕いて進むことを繰り返す。」というのに、「あ、それでいいんだ」と勇気づけられた。私も穴を掘ってジリジリ進むモグラのように自分を感じていた。

小説家は事前の準備をものすごーくしてからガーッと書き進めるスタイルが普通なのか、と思っていて、準備が大してできないうちに描き始めることに「こりゃまずいよな…」と罪悪感みたいなものを感じていたりしたので。
調べなくてはいけないポイントは描いていて初めてわかることが多く、準備時点では調べなくてはいけないことはかなり茫洋としてつかみづらい。(彼と私では準備時点で調べている量が全く違うと思われるが…)

そういえば先日読んだ文春の阿川さんとの対談で内田康夫氏が「トリックや結末は決めずに書く」というのにも勇気づけられたりしたのだった。「これでいいんだ!!」と。

↑…こういうやり方で成功するには才能が必要なんだろうな、とは思いつつ…

吉村氏の一人で取材することが多い、というのには少しビックリした。
もちろん自分で行う取材というのは基本だと思うが、編集者を伴って、とか助手を使って、というのを考えていたので。
私と同じように思う人は多いみたいで、取材先で「作家?」とうさん臭がられたり、名前知られるようになってからは「偽物だろう」と判断されることもあるそうだが。

この人にしても、司馬さんや子母沢さんにしても、取材先で人から話を引き出すことができるというのはすごいなぁ、と思う。
(司馬さん、子母沢さんは新聞記者出身か)

対人が得意ではない私はどうしてもここが苦手で積極的に、ということができない。絵的な取材はまあまあできるようになってはきたが…

漫画描きは妄想力がものをいう世界で、またどれだけ家にいて描く時間を確保できるか、というのがあると思うのだが(外では描けないしね…)、取材して見つける題材の面白さ、というのもある。

現在新選組を扱うものを描いてて、取材先で関係者ならではの面白い話聞いたりして、はまると底なしのこの領域に私もほんのちょっとだけど踏み込んでしまったのかもしれない。

わたしの普段着

わたしの普段着

  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/12/20
  • メディア: 単行本


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